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作品紹介

礼子は、私が自分の足元を確かめられずにいた時期に現れました。食事をしながらよく私を叱り、ワインを飲みながら政治の話をする人でした。四年のあいだ、私は彼女の明るさに何度も支えられました。

純粋な恋だったと言い切るには、少しだけ違う何かが混じっています。憧れ、甘え、敬意、そして自分にない強さへの信仰。名前のつけにくい四年間についての物語です。

約3,700字/公式サイト版

※本作は創作小説です。筆者個人の体験をそのまま記したものではなく、実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。

人は、誰かに書かれると、少しだけ実在する。通り雨のような四年間についての物語です。

礼子と出会ったのは、私が二十九になった冬だった。

閉鎖的な精神世界の共同体を離れてから、五年ほどが過ぎていた。世の中には戻っていたし、会社にも通っていたし、スーツを着て電車に揺られ、会議でうなずき、週末には洗濯もしていた。生活の形だけを見れば、もう十分に社会復帰している男だった。

けれど、心の中には長いあいだ日が当たらなかった場所があった。共同体の中で失った時間や、自分を信じられなくなった感覚は、外へ出たからといってすぐに消えるものではなかった。むしろ外へ戻ってからのほうが、自分の中の傷の形はよく見えた。

その頃、私はセラピストの仕事を始めて間もなかった。
会社員をしながら、夜や休日だけ、人の心や身体に触れる仕事をしていた。今なら“始めていた”と簡単に言えるが、当時の私には、それはもっと曖昧で不安定な試みだった。誰かに触れてよい人間なのか、自分でもわからなかったからだ。

礼子は、そんな時期に現れた。

彼女は私より十二歳年上で、空港の近くの町に住んでいた。
接遇や語学を教える小さな学校を営んでいて、企業向けの研修もしていた。文章も書き、本も出したいと言っていた。自分の名前で何かを成し遂げることに、強い執着のある女だった。

私が東京の南のほうに住み、彼女が東の空の近くに住んでいたので、会う場所はいつも、その中間にある少し雑然とした街だった。

週に一度。
四年間。

その繰り返しが、私たちの関係の大半だった。

最初に会った日、私は彼女に圧倒された。
美人というより、鮮やかな人だった。
目が強く、声が明るく、笑い方に遠慮がなかった。背筋がすっと伸びていて、自分の輪郭をよく知っている人間の立ち姿だった。

「あなた、思ってたより静かな人なのね」

彼女は最初にそう言って笑った。

その笑い方が、妙に太陽に似ていた。
人を照らすことにためらいがなく、しかも本人はそれを特別なことだと思っていない、そんな明るさだった。

私は、その場で少し救われた気がした。
何に救われたのか、その時はわからなかった。ただ、彼女の前では、自分がもう少しまともな男として扱われるような気がしたのだ。

礼子はよく話した。
政治のこと、教育のこと、仕事のできない男のこと、女が社会で一人で勝ち残ることのむずかしさ、自分の学校のこと、これからの事業のこと、弟のこと、寄付のこと、本の構想のこと。どの話にも勢いがあり、しかもそこにはいつも彼女自身の欲望が混じっていた。

有名になりたい。
成功したい。
女として、社会で、自分の名前で立ちたい。

そういう欲望を、彼女はあまり隠さなかった。

当時の私は、その率直さに惹かれた。
清らかな理想だけを口にする人間よりも、自分の野心や承認欲求を抱えたまま前へ出ようとする人のほうが、私は信用できた。礼子には俗っぽさがあった。けれど、その俗っぽさは、弱さを隠すための見栄というより、生きる力そのもののように見えた。

私には、それがまぶしかった。

私は長いあいだ、自分を小さくして生きてきた。
共同体の中では、自我を捨てることが美徳だったし、外へ出てからも、自分の輪郭を大きく描くのが怖かった。何かを言い切ること、人前で目立つこと、自分の欲をそのまま出すこと。どれも苦手だった。

礼子は逆だった。
欲しいものを欲しいと言った。
なりたい自分を、はっきり言葉にした。
傷ついても、また前に出た。

私はそんな彼女に、恋をするより先に憧れていたのだと思う。

彼女は食事をしながら、よく私を叱った。

「あなたはもっと自分を出したほうがいい」
「そんなに控えめでどうするの」
「いい人で終わるのがいちばんつまらないのよ」

私は苦笑いしながら聞いていた。
本気で反論する気にもなれなかったし、どこかで彼女の言う通りだとも思っていた。

礼子は私を高く評価していた。
その評価は、私が自分に対して持っている感覚より、ずっと高かった。
静かで、誠実で、情が深くて、涙もろくて、不器用だけれど本質的にはやさしい男なのだと、彼女は何度も言った。そんなふうに信じてもらえることが、当時の私にはほとんど奇跡のようだった。

彼女は後に、短いエッセイを連載するようになった。
そこに私は別名で登場した。
私の仕事のこと、私の部屋の静けさのこと、煙草の煙を嫌うこと、クラシックをよく流していたこと、囁くように話すこと、嘘をついてもそれは誰かを守るための仕方のない嘘だろうと彼女が感じていたことまで、書かれていた。

私はそれを読むたび、気恥ずかしくなった。
同時に、少しだけ救われた。
自分が誰かの文章の中で人物になっていることが、まだこの世界に存在していていいという証拠のように思えたからだ。

人は、誰かに書かれると、少しだけ実在する。

礼子との時間の中で、私は少しずつ、自分の内側が満ちていくのを感じていた。彼女は、私のことをよく褒めた。あなたといると、心も体もほどけていく。あとになって思い出すと、体の芯が温かくなる、と。そういう言葉を受け取るたび、私は戸惑った。自分が誰かに与えているつもりのものを、じつは自分のほうが受け取っているように感じたからだ。

一度、こう聞かれたことがある。

「あなた、どうしてそんなに上手なの」

私は答えに困った。うまくやろうとした覚えがなかったからだ。急がない。相手の様子を見る。嫌がることをしない。それだけのことをしていた。

「普通にしているだけです」

そう答えると、彼女は笑った。

「それが普通じゃないのよ」

自分では努力とも思っていないことを、他人が価値だと言う。向いているというのは、たぶんそういうことなのだと、ずっとあとになって知った。

礼子は太陽のようだった。

けれど、太陽は時に近づきすぎると焼ける。

彼女は野心のある女だった。
自分の人生を“真実の愛”や“女の自立”の物語として世の中に差し出したいと思っていた。実際、その後彼女は本を出した。題名は、幸福や再生を思わせる、やわらかなものだった。私はその本を手にした時、誇らしいような、少し置いていかれたような、複雑な気持ちになった。

あの頃、彼女はまだ世間に名前を持つ前だった。
けれど、すでに自分の名前で立つつもりの女だった。
何年もたってから、ほんとうに彼女はそういう場所へ行った。
世の中の側に、自分の居場所を作った。

でも私の記憶の中では、彼女はいつまでも、駅前の雑踏でこちらを見つけて、少し勝ち気に笑う女のままだ。

四年のあいだに、私は彼女の明るさに何度も支えられた。
それは恋人に身を預けるというより、まだ自分の足元を確かめきれない男が、前を向いて歩く人の背中を見て、どうにか歩き方を思い出していくような時間だった。

礼子は、たぶんそのことに気づいていた。
気づいたうえで、急かしすぎず、突き放しすぎず、私の中にまだ残っている力を見ようとしてくれていた。

ある夜、帰り道で彼女が言った。

「あなたって、本当はすごく強いのに、自分でそれを使わないよね」

私は笑ってごまかそうとした。
けれど彼女は真顔のままだった。

「もったいない」

その一言が、長く残った。

たぶん彼女は、私が自分で思っているよりも、私の中の何かを信じてくれていたのだろう。
私はその期待に応えられるほど、自分を信じてはいなかった。

だから、私たちのあいだには最初から少しずれがあった。
彼女は上へ行こうとしていた。
私はまだ、地上にちゃんと降り立つことすら覚束なかった。

のちに、誰かがこんなことを言っていた。
男は人生で一度は、年上の女に甘えたくなる。
でもそれを恋と呼ぶのは、少し違う。
それは通り雨みたいなものだ、と。

私はその言葉を聞いた時、妙に納得した。

礼子との四年間が軽かったと言いたいのではない。
私の人生を確かに変えた。

けれど、あれを純粋な恋だったと言い切るには、少しだけ違う何かが混じっている。

憧れ。
甘え。
敬意。
母性への渇き。
女としてのまぶしさへの陶酔。
自分にない強さへの信仰。
そして、彼女の熱で、自分の凍っていたところを溶かしてもらいたいという、幼い願い。

それら全部が混じっていた。

通り雨は、一瞬のものだと思われがちだ。
だが、実際にはその前から空気を変え、降っているあいだ街の匂いを塗り替え、去ったあともしばらく地面の温度を変え続ける。

礼子は、私にとってそういう雨だった。

いま思い出すのは、大きな出来事より細部のほうだ。
待ち合わせの街の雑踏。
彼女がワインを飲みながら政治の話をする時の目の冴え方。
経営者の顔から、ふっと年上の女の顔に変わる瞬間。
褒めすぎると怒るくせに、ほんとうはもっと褒めてほしそうだったこと。
私の臆病さに呆れながらも、どこかうれしそうだったこと。

彼女は明るく、俗っぽくて、人間的で、少し危うい人だった。

私はたぶん、彼女を完全には愛していなかった。
けれど、深く必要としていた。
その違いを、当時の私はまだうまく言葉にできなかった。

通り雨に打たれた午後のことを、人は案外長く忘れない。
たしかにその時、体温も空気も変わった。

礼子のことも、私は忘れないと思う。
彼女の明るさも、野心も、傷も、文章も、私を信じた目も。

あの雨のあと、私はようやく、自分の人生をもう一度、自分の手に取り戻し始めたのだから。

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