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作品紹介

七つ年上のさやかは、海外でMBAを取り、外資系企業で財務やM&Aに関わっていた人でした。同時に、オラクルカードを切り、目に見えないものを信じている人でもありました。

互いを理解していたとは言えません。恋だったのかどうかも、いまだにわかりません。それでも三十四階の部屋の灯りと、ローズクォーツをはにかみながら見せてくれた顔だけが残っている。名前のつかない関係についての物語です。

約4,700字/公式サイト版

※本作は創作小説です。筆者個人の体験をそのまま記したものではなく、実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。

理解し合えたわけではない。恋と呼べたのかもわからない。それでも忘れられない人がいる。名前のつかなかった一年の話です。

さやかのことを思い出すとき、私はたいてい、月島のタワーマンションの三十四階を先に思い出す。

窓の外には、隅田川と晴海運河のあいだの水辺がひらけていた。夜になると、街の灯がその水の上でほどけていた。高い部屋というのは、地上の生活から少しだけ切り離されていて、そこだけ別の空気が流れているように思える。私は毎週のようにその部屋へ通っていた。いま振り返ると、私が通っていたのは眺めのためではなく、そこにいるひとりの女の、どこか頼りない気配のためだったのかもしれない。

さやかから最初に届いたものは、予約ではなかった。

当時、私には長く続いている人がいた。四年ほどになり、そのころにはもう終わりかけていた。私のサイトには、彼女が連載していた短いエッセイが載っていて、私は別名で登場していた。二人は肉体を超えた次元で結ばれている、というようなことが書かれていた。

それに対して、見知らぬ女から抗議のメールが届いた。

商売として成り立たせているのなら、二人の関係がたとえ事実であったとしても、
伏せておくべきだと思います。

正論だった。私は返事を書かなかった。差出人の名は、聞いたことのないものだった。

そのメールのことを、私はすぐに忘れた。一年後に予約フォームが届いたとき、そこに書かれた名が、あのメールの差出人と同じであることに、私は気づかなかった。

予約フォームのメッセージ欄には、こうあった。

少し温もりがほしくて
やさしく
安心、させてください

三行が、それぞれ改行されていた。文章というより、息継ぎのようだった。

年齢の欄には、三十五、とあった。

のちに、それが嘘だとわかる。彼女は私より七つ上で、そのとき三十九だった。ふた月後に、四十になった。とがめると、彼女は少しも慌てずに言った。

「入力のとき、指がすべってしまったの」

指がすべって四つ若くなることが、あるだろうか。私は笑ってしまい、それ以上は追及しなかった。

さやかは、海外大学でMBAを取り、外資系企業で財務やM&Aに関わる仕事をしていた。ニューヨークやスイスへ出張することも珍しくなく、英語を話しているときの彼女には、ふだんの静けさとは別の張った光があった。

彼女は「価値」という言葉をよく使った。価値がある、価値がない、というふうに。仕事の世界では、それは正しい言葉だったのだろう。価値はつねに測られ、比べられ、交換される。けれど私は、人と人のあいだまでその言葉で測る感覚には、なじめなかった。恋人や伴侶として心が向くのは、そういう尺度からもっとも遠いところにいる人ではないかと、私は思っていた。

一度、その言葉が私に向けられたことがある。

何がきっかけだったかは忘れた。おそらく、私の考えの浅いところが見えたのだと思う。彼女に悪意はなかった。いつもの言葉づかいをしただけだったのだろう。けれど私には、男としての価値がない、と言われたように聞こえた。

自分も、ずっと測られていたのかもしれない。

肩書だけ見れば、強く、冷静で、隙のない女に見える。だが実際に会うと印象は違った。言葉は的確で、身のこなしにも無駄がないのに、その人の全体にはどこか力の細さがあった。仕事の世界ではまぶしく見えるのに、もともとの生の力はそれほど強くない。色にたとえるなら、頼りない、薄いピンクだった。

さやかは、目に見えないものを信じていた。
オラクルカードを持ち、会うたびによくそれを切った。タロットも読めたし、レイキも学んでいた。私自身も占いやスピリチュアルなものには関心があったから、そういうものを通して、私たちは引き合っていたのだと思う。さやかは大きなローズクォーツをいつも持ち歩いていた。

「今、温もりが欲しいの」

そう言って、彼女はその石を見せた。恋人を欲していて、そのために持っているのだとも言った。彼女は、基本的には優しかった。それは、人を強く抱きしめるような優しさではない。ただ、傷のある場所に静かに手を当てるような優しさだった。

帰国子女だったこともあってか、さやかは中身のつくりがどこか欧米人めいていた。情に溺れて自分を見失うようなところはなかった。優しいのに、べたつかない。人に合わせるより、自分の感覚に従って静かに動く。けれどその一方で、日本の風土にはどうもうまくなじみきれていないようにも見えた。彼女はいつも、自分の居場所を探している人だった。転職を繰り返しながら、自分にふさわしい仕事や場所を探し続けていた。経済的には恵まれていたはずなのに、それとは別の欠落を抱えているようにも見えた。

そういう彼女といると、私はときどき不安になった。彼女が見ているのは、私なのか、自分の欠けたところなのか。

彼女は、私と会いはじめる少し前に、離婚していた。

前の夫は、国立の医学部を出た医者だった。

結婚生活のあいだ、夫婦として過ごした夜は二度きりだったという。私が訊いたのだ。不躾な質問だったと思う。彼女は淡々と答えた。

子どもがほしかった。その願いは、はじめから叶う場所になかったことになる。

未練はあるのかと訊いたときだけ、声が低くなった。全然、と彼女は言った。憎んでいる、と言ったほうが近かったかもしれない。私は、それ以上訊かなかった。

春に、彼女から短いメールが来た。病気が見つかった、と書いてあった。頭の手術が要るという。病名も、どこにできたのかも、最後まで聞かなかった。誰にも言っていないの、とだけ添えてあった。

そのあと届いた文面のほうを、私はよく憶えている。

その日だけ、あなたの恋人にしてください。

私は、そのとおりにした。一日だけ、という約束は、その日のうちに意味をなくした。恋人のふりをするつもりで会い、帰り道には、ふりだったのかどうかがわからなくなっていた。

夏の終わりには、彼女は炎天下のコースを十八ホール歩いていた。

私は、何も訊かなかった。訊けば、また指がすべったと言うのだろうと思った。それに、あのとき彼女が欲しがっていたものは、病名がどうであれ、わかっていた。私は多くの女性に会っていたし、心はまだ別のところにあった。その隙間に割って入るには、そのつど、何かが要った。

私たちは一緒にハワイへ行った。

予定を組んだのは私だった。射撃場、初心者向けのウィンドサーフィン、朝七時に迎えの来るゴルフツアー。彼女はそれを喜び、最後にひとこと付け足してきた。ゴルフの靴、忘れないように。

あの頃の私は、すでに少し疲れていた。何かを楽しむ力も、まっすぐ人を信じる力も、いくらか弱っていた。それでもさやかと遠くへ行きたいとは思った。海の青さも、陽の白さも、ホテルの冷えた空気も、いまでは断片としてしか残っていない。ただ、さやかが隣にいたことだけは覚えている。

私はさやかに満たされていたかと訊かれれば、たぶん違うと答える。もっと強いもの、もっと揺るがないものを、私は女の人に求めていたのかもしれない。そのために私は、ときに彼女に冷たくした。いまになってみれば、彼女が足りなかったのではない。目の前にある繊細さを、そのまま受けとめるだけの余裕が、私の側になかったのだと思う。

それでも私は、さやかから簡単には離れられなかった。あの頃の私にとって、さやかは頼れる唯一の女のように感じられていたのだ。

私がいまでも思い出すのは、大きな目をしばたたかせる、あの独特のまばたきと、ふいに見せる笑顔である。作った笑いではなく、顔が自然にほころぶような笑い方だった。キャリア女性の顔つきの奥に、小動物のような可愛さがふっと現れることがあった。私は、あの笑顔が好きだった。

帰国後、私たちは撮った写真を送りあった。彼女のメールの末尾には、たいてい英語で一行が添えられていた。

I want to be at the right place at the right time…

正しいときに、正しい場所にいたい。彼女がずっと探していたものが、その一行に書いてあった。

写真の礼を書いたとき、私は署名を書き間違えた。

仕事で使っている名ではなく、高橋、と書いてしまったのだ。昼のあいだ、私が呼ばれている名前だった。すぐに詫びのメールを送った。

翌日、彼女からの返事の末尾に、追伸があった。

私は、セラピストのあなたも好き。でも、高橋さんと仲良くなりたい。

私は、単純にうれしかった。

彼女は最初から、そちらを見ていたのだと思う。抗議のメールを書いたときも、指をすべらせたときも。相手にしていたのは、私が仕事のためにこしらえた人格ではなく、その後ろにいる男のほうだった。

その冬のことだ。

抱き合っている最中に、彼女が言った。

「こんなにラブラブだと子供ができちゃうよ!」

子どもは諦めた、と何度も言っていた人だった。四十を過ぎて、その話はもう終わったことになっていた。

「ひとりで育てるんじゃなくて。ちゃんとパパになってくれる?」

冗談ではなかった。声の調子で、それはわかった。

私は、無理だと答えた。父親になる覚悟が、そのときの私にはなかった。

彼女は、それならもう中では駄目、と言った。

それだけだった。子どもがほしいという願いは、その場で規則に変わった。

年齢を四つ削った人が、そのときだけは、何ひとつごまかさずに訊いていた。そして私は、本当のことで答えるしかなかった。

やがて、さやかが私と会っているあいだに、別のセラピストとも会っていたことを知った。

そのことは、私を傷つけた。いまであれば、そういうこともままある、と別に驚きもしないのかもしれない。けれど当時の私は、女性に対して信仰のようなものを持っていた。女というものを、もっと一途で、もっと純粋で、もっとこちらだけを見ている存在として、勝手に思い込んでいたのだと思う。だから、その思い込みが裏切られたと感じた。単にひとりの女に傷つけられたというより、自分の中にあった女というものへの信仰そのものが壊れた、そういう痛みだった。

けれど時間が経つと、さやかはただ、自分の中の空白を埋めようとしていただけだったのかもしれないとも思う。私がそれを埋められなかった、というより、そもそも誰かひとりの手で埋まるようなものではなかったのだろう。

私たちは、一年ほどで終わった。

ある小説家が、

「女とは、大切な人との思い出を悲しみながら、傍らで、饅頭をぱくぱく食うものだ」

と書いていた。

いまの私には、その言葉は、女を責める言葉というより、こちらが女というものに期待しすぎないための言葉に思える。あまり信用しすぎないほうがいい。深く信じすぎれば、そのぶんこちらが傷つく。人は悲しみながらでも生きていくし、温もりを失っても、腹は減るし、朝は来る。だから、相手に絶対のものを求めるのではなく、そういうものだとわきまえたうえで、少し離れて見ているほうがいい。諦めに似た気持ちで、けれど冷たくではなく、どこか温かく。

朝は来る、と彼女自身も書いていた。まだ会う前のころ、私のサイトにこう残している。

寂しくても、寂しくなくても、朝はちゃんと誰にも来るという事。

月島の三十四階の夜景は、もう細部までは思い出せない。

私はあの人を理解していたわけではない。あの人もまた、私を理解していたとは言えなかった。恋だったのかどうかも、いまではよくわからない。けれど、わからなかったからこそ、忘れきれないのかもしれない。

ただ、三十四階の部屋の灯りと、ふところから大きなローズクォーツを取り出し、はにかみながらそれを見せてくれた、あのときのさやかの顔だけは、いまも消えない。

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